ハードロマンチッカー

邦画

『ハードロマンチッカー』は痛いほど不器用だった――青春でもヤンキー映画でも片づけられない“息苦しさ”の正体

『ハードロマンチッカー』を観たあと、なんとも言えない疲労感が残った

映画を観終わったあと、「面白かった!」とスッキリする作品ってある。でも『ハードロマンチッカー』はそういうタイプじゃない。むしろ逆で、胸の奥にドロッとした感情が残る。疲れるし、しんどいし、登場人物たちはだいたいロクでもない。それなのに、なぜか最後まで目を離せなかった。

最初に言っておくと、この映画はかなり人を選ぶと思う。テンポのいいエンタメを期待して観ると、たぶんキツい。爽快感も少ないし、カタルシスもほとんどない。ヤンキー映画っぽい見た目をしているけど、実際には「不良たちの青春物語」みたいなキラキラ感は皆無だ。

ただ、その救いのなさこそが、この作品の魅力でもある。

舞台は山口県下関。閉塞感の漂う地方都市で、半グレのように生きる若者たちの日常が描かれていく。主人公のグーは在日韓国人三世で、ケンカばかりしていて、仕事も長続きせず、とにかく危うい。周囲の人間もみんな余裕がなく、暴力と金と見栄でなんとか生き延びている。

映画全体に漂うのは、「若さ」よりも「行き場のなさ」だ。

これが本当に苦しい。

誰も未来を見ていないし、夢もない。かといって、完全に絶望しているわけでもない。ただ今日をなんとなく生きていて、ちょっとしたプライドや怒りだけで突っ走ってしまう。その感じが妙にリアルだった。

観ていて何度も「なんでそんなことするんだよ」と思う。でも、冷静に考えると、彼らにはそうする以外の方法がないようにも見える。

この映画、たぶん“物語”を楽しむ作品じゃない。もっと感覚的な映画だと思う。湿度とか、空気とか、匂いとか、そういうものを全身で受け取るタイプの作品。

だからこそ、刺さる人には深く刺さる。

主人公・グーが全然“主人公らしくない”のがいい

普通、映画の主人公って多少は感情移入しやすく作られている。でもグーはかなり難しい。粗暴だし、短気だし、すぐ暴力に走る。人に優しくできるタイプでもない。正直、かなり面倒くさい男だ。

それなのに、不思議と目が離せない。

たぶんそれは、グーがずっと「居場所」を探しているからだと思う。

彼は在日韓国人というアイデンティティを抱えているけど、映画はそこを過剰にドラマチックには描かない。差別問題を真正面から告発する社会派映画、という感じでもない。

むしろもっと生々しい。

「なんとなく周囲から浮いてしまう」
「自分でも自分の立ち位置がわからない」
「でもプライドだけは高い」

そういう感覚が、グーの中にずっと渦巻いている。

だから彼はすぐ怒るし、ケンカする。暴力でしか自分を証明できない瞬間がある。でも、それって強さというより、かなり弱さに近い。

ここがこの映画のしんどいところでもある。

グーは別に“カッコいい不良”として描かれていない。むしろかなりみっともない。空回りもするし、女にも不器用だし、仲間との関係もギクシャクしている。

でも、その不格好さが異様にリアルだった。

たとえば、若い頃って「自分は何者かになれる」と思いながら、実際には何者にもなれない感覚がある。この映画には、その焦燥感がずっと漂っている。

しかも地方都市という舞台がまた絶妙なんだ。

都会みたいに逃げ場がない。狭いコミュニティの中で、昔からの人間関係が絡まり続ける。噂も広がるし、上下関係も濃い。だから一度こじれると、どこまでも息苦しい。

グーはそこから抜け出したいのに、結局抜け出せない。

この閉塞感が、『ハードロマンチッカー』の核心なんじゃないかと思った。

暴力シーンが“痛い”――カッコよく演出しないところが怖い

この映画、かなり暴力描写が多い。

でも、いわゆるスタイリッシュなバイオレンス映画とは全然違う。アクションとして気持ちよく見せる感じじゃない。むしろ徹底的に「痛い」。

殴る音も鈍いし、ケンカも泥臭い。

普通、映画のケンカってどこかエンタメになっていることが多い。でも『ハードロマンチッカー』の暴力は、全然気持ちよくない。

「あ、これ本当にヤバいやつだ」

という空気がずっとある。

だから観ていてかなり疲れる。

特に印象的だったのは、暴力が“日常の延長”として存在しているところ。特別な事件じゃなく、ちょっとしたメンツや感情で突然始まる。

それが怖い。

しかも、登場人物たちは暴力に慣れてしまっている。だから止まれない。誰かが殴れば、また別の誰かが報復する。その繰り返し。

この映画を観ていると、「暴力って結局、何も解決しないんだな」という当たり前のことを改めて感じる。

でも彼らには、それ以外のコミュニケーション方法がない。

ここがまた切ない。

あと、この映画は“男らしさ”の呪いみたいなものも強く描いている気がした。

「舐められたら終わり」
「引いたら負け」
「強く見せなきゃいけない」

そういう価値観に縛られて、みんなどんどん壊れていく。

特に若い頃って、「弱い自分」を見せるのが異常に怖かったりする。でも、その無理が結局、自分を追い詰める。

『ハードロマンチッカー』は、その地獄みたいなループをひたすら見せてくる映画だった。

だから観終わったあと、爽快感より先に疲労感が来る。

でも、その感覚は嫌いじゃなかった。

この映画の“古臭さ”が逆にリアルだった

正直に言うと、『ハードロマンチッカー』にはかなり時代性がある。

空気感も価値観も、今の感覚で観ると少し古い。男社会のノリも強いし、女性キャラクターの扱いにモヤッとする部分もある。

でも、その古臭さ込みでリアルだった。

たぶんこの映画って、「地方のどうしようもない青春」をかなり忠実に切り取っている。

都会的な洗練とは真逆だ。

オシャレなカフェもないし、夢を語る場所もない。あるのはパチンコ屋、飲み屋、先輩後輩の関係、ケンカ、噂話。狭い世界の中で、みんな必死に自分の立場を守っている。

しかも、その世界が妙に具体的なんだ。

映画を観ていると、「こういう街、本当にありそう」と思えてくる。実際に地方で育った人ほど、この空気感に覚えがあるんじゃないだろうか。

特に、“地元から出られない感覚”がすごくリアルだった。

若い頃って、「いつかここじゃない場所へ行く」と思っている。でも実際には、金もコネもないし、勇気もない。気づけば同じ仲間と同じ場所でダラダラしている。

この映画には、その停滞感がずっとある。

だからこそ、登場人物たちのイライラや焦りが伝わってくる。

あと個人的に好きだったのは、街の映し方。

下関の風景がめちゃくちゃ生々しい。観光映画みたいにキレイに撮らないのがいい。湿っぽい空気、古い建物、夜の港町の雰囲気。その全部が映画のトーンに合っていた。

地方都市特有の、“逃げ場のない広さ”みたいなものがちゃんと映っている。

人も少ないのに、閉塞感だけは濃い。

あの感じ、妙にリアルだった。

『ハードロマンチッカー』は“青春映画”として観るとかなり危険

この映画を「ヤンキー青春映画」みたいに紹介する人もいるけど、個人的にはちょっと違う気がする。

確かに若者たちの話ではある。でも、この映画にあるのは青春の輝きじゃなく、“青春が腐っていく感じ”だ。

キラキラした友情もないし、努力して成長する感動もない。みんな不器用で、自滅して、間違えていく。

でも、それがやたらリアルだった。

青春って、本来そんなに美しいものばかりじゃない。

むしろ多くの時間は、中途半端で、ダサくて、感情のコントロールもできなくて、自分が何者かわからないまま終わっていく。

『ハードロマンチッカー』は、その“カッコ悪い青春”を真正面から描いている。

だから観る人によっては、「ただの救いのない映画」と感じると思う。

実際、かなり陰鬱だ。

でも、自分は嫌いになれなかった。

むしろ、「若さの危うさ」をここまで生々しく描いた邦画って意外と少ない気がする。

しかも、この映画は登場人物を完全には突き放さない。

みんなダメなやつだし、暴力的だし、どうしようもない。でも時折見せる寂しそうな顔や、孤独そうな空気に、人間臭さがにじむ。

そこが切なかった。

結局、人って「強くなりたい」と思いながら、本当は誰かに認められたいだけなのかもしれない。

『ハードロマンチッカー』は、その承認欲求の暴走を描いた映画にも見えた。

観ていて気持ちのいい作品ではない。でも、だからこそ忘れにくい。

しばらく経ってから、「あの映画、なんかずっと残ってるな」と思い返すタイプの一本だった。

もしスカッとする映画を求めているなら、たぶん向いていない。

でも、“痛みのある青春”や、“地方の閉塞感”、“若さゆえの暴走”みたいなものに興味があるなら、一度観てみる価値はあると思う。

かなりヘビーだけど、妙にリアルな映画だった。

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